[1]大法東漸してより僧史に載する所、詎に幾人か曾て講を聴かずして自ら仏乗を解する者あらんや。縦令ひ悟を発すとも、復能く定に入りて陀羅尼を得る者ありや不や。縦ひ定慧を具すとも、復た帝京にして二法を弘むるや不や。縦令ひ席を盛んにすとも、徒衆を謝遣して山谷に隠居するや不や。縦ひ世を避けて玄を守るとも、徴されて二国の師と為るや不や。縦ひ帝者に尊ばるとも、太極に対御して仁王般若を講ずるや不や。縦ひ正殿にして宣揚すとも、主上の為に三たび礼せらるるや不や。縦令ひ万乗膝を屈すとも、百の高座百官称美讃歎して。弾指、殿に喧しき不や。縦ひ道俗顒顒たりとも、法華の円意を玄悟するや不や。縦ひ経意を得るとも、能く文字無くして楽説辯を以て昼夜に流瀉するや不や。唯だ我が智者のみ諸の功徳を具す。幸いなる哉、灌頂、昔し建業に於て始て経文を聴き、次に江陵に在りて玄義を奉蒙す。晩に台嶺に還りて仍ほ鶴林に値ふ。荊揚に往復して途将に万里ならんとす。前後補接して纔かに一遍を聞く。但だ未だ不聞を聞かざるのみに非ず、亦乃ち聞く者も未だ了せず巻舒鑚仰して、弥いよ堅高を覚ゆ。猶ほ恨むらくは縁浅くして再びならず、三ならず諮詢するに地無く、犢の乳を思ふが如し。並びに復た惟念す、斯の言若し墜ちなば将来悲むべし。涅槃には「若樹若石」と明し、今経には「若田若里」と称す。聖典に聿遵して書して之を伝ふ。玄と文と各十巻なり。或は経論の誠言を以つて此の深妙に符し、或は諸師の異解を標じて彼の非円を験ぶ。後代の行者、甘露門の茲に在ることを知らん。
[2]言ふ所の妙とは、妙は不可思議を名くるなり。 言ふ所の法とは、十界十如権実の法なり。 蓮華とは権実の法を譬ふるなり。良に妙法は解し難く喩を仮るに彰し易きを以つて、況の意乃ち多し。略して前後に擬し合して六を成す。一に蓮の為の故の華は、実の為めに権を施すを譬う。文に云はく、「第一寂滅を知り、方便力を以ての故に、種種の道を示すと雖も、其の実は仏乗の為なり」と。二に華の敷くは開権を譬へ、蓮の現ずるは顕実を譬ふ。文に云はく、「方便の門を開いて真実の相を示す」と。三に華の落つるは廃権を譬へ、蓮成るは立実を譬ふ。文に云はく、「正直に方便を捨てて但だ無上道を説く」と。又た蓮は本を譬ヘ、華は迹を譬ふ。本より述を垂る、述は本に依る。文に云はく、「我れ実に成仏してより来た、久遠なること斯の若し」と。「但だ衆生を教化するに是の如きの説を作す、我れ少くして出家して三菩提を得」と。二に華敷くは迹を開するを譬へ、蓮の現ずるは本を顕はすことを譬ふ。文に云はく、「一切世間皆な謂ふ、今始めて道を得」と。「我れ成仏してより来た無量無辺那由他劫なり」と。三に華の落つるは迹を廃するを譬へ、蓮成るは本を立つるを譬ふ。文に云はく、「諸仏如来の法、皆な是の如し」と。「衆生を度せんが為なり、皆な実にして虚しからず」と。是を以つて先に妙法を標じ、次に蓮華に喩ふ。化城の執教を蕩して草菴の滞情を廃し、方便の権門を開して真実の妙理を示す。衆善の小行を会して広大の一乗に帰し、上中下根に皆な記莂を与ふ。又た衆聖の権巧を発して、本地の幽微を顕はす。故に増道損生して位大覚に隣る。一期の化導、事理倶に円かなり。蓮華の譬、意斯に在り矣。経とは、外国に修多羅と称す、聖教の都名なり。有翻無翻、事後に釈するが如し。記者釈して曰はく、蓋し序王とは経の玄意を叙す。玄意は文心を述す、文心は迹本に過ぎたるは莫し。仰いで斯の旨を観るに、衆義冷然たり。妙法蓮華は即ち名を叙するなり、真実の妙理を示すは体を叙するなり、広大の一乗に帰するは宗を叙するなり、化城の執教を蕩すは用を叙するなり、一期の化円なるは教を叙するなり。六譬は迹本を叙するなり。文略に意周し矣。
[3]夫れ理は偏円を絶すれども、円珠に寄せて而も理を談ず。極は遠近に非れども、宝所に託して而も極を論す。極会し円冥すれば、事理倶に寂す。而して寂ならざるは、良に無明の酒に耽りて珠を繋くと雖も而も覚らざるに由る。涅槃の道に迷ひて、路遠からざれども而も長しと言ふ。聖主世尊、斯の倒惑を愍み、四華六動して方便の門を開き、三変千踊して真実の地を表はす。咸く一切をして、普く見聞を得せ令む。秘密の奥蔵を発く、之を称して妙と為す。権実の正軌を示す、故に号して法と為す。久遠の本果を指す、之を喩ふるに蓮を以つてし。不二の円道に会す、之を譬ふるに華を以つてす。声、仏事を為す、之を称して経と為す。円詮の初、之を目けて序と為す。序類相ひ従ふ、之を称して品と為す。衆次の首めなれば、名けて第一と為す。釈して曰はく、談記は是れ名を叙す、会冥は是れ体を叙す、円珠は是れ宗を叙す、倶寂は是れ用を叙す、四華六動は是れ教を叙す。本迹知んぬべし。此の妙法蓮華経は、本地甚深の奥蔵なり。文に云はく、「是の法示す可からず、世間の相常住なり」「三世の如来の証得する所たり」と。文に云はく、「是れ第一寂滅、道場に於て知り已る」「大事の因縁をもつて世に出現す、始めて身我を見て仏慧に入らしむ、未だ入らざる者の為に四十余年、異の方便を以て第一義を助顕す」「今は正直に方便を捨てて但だ無上道を説く」と。言ふ所の妙とは、不可思議の法を褒美するなり。又た妙とは、十法界十妙の法なり。此の法即ち妙、此の妙即ち法、二無く別無し、故に妙と言ふなり。又た妙とは、自行権実の法妙なり、故に蓮華を挙げて之を況するなり。又た妙とは迹に即して而も本、本に即して而も迹、即ち本に非ず迹に非ず、或は開廃を為す云云。又た妙とは最勝修多羅甘露の門なり、故に妙と言ふなり。釈して曰はく、妙は別の体無し。体上の褒美とは、妙の名を叙するなり。妙即ち法界、法界即ち妙とは、体を叙するなり。自行の権実とは、宗を叙するなり。本迹の六喩とは、用を叙するなり。甘露門とは、教を叙するなり。